沿革
奉化郡は山が美しく、ソンビの精神が息づいている礼節のさとである。人口4万人、1邑9面によって構成されている。全体面積の83%が人々の手垢のついていない森林となっており、自然景観に優れ、特産品が多い。とくに、道立公園に指定された清凉山(チョンニャンサン)をはじめとする名山や国宝、宝物が散在する。
History
三韓時代~2018年 | |
---|---|
三韓時代 | 辰韓の己柢国に属していた。 |
三国時代 | 現時の鳳城面一帯は、高句麗の奈己郡・古斯馬県に属していた。 |
新羅第5代王・婆娑王(80~112) | 新羅の領土に属していた。 |
新羅第35代王・景徳王(742~765) | 奈霊郡・玉馬県へ改称。 |
高麗第8代王・顕宗(1010~1031) | 高麗第8代王の顕宗(1010~1031)の時、鳳城県へ改称。 |
朝鮮第26代王・高宗32年 (1895) | 朝鮮26代王の高宗32年(1895)に奉化県から奉化郡へ改称。 |
朝鮮・純宗1年(1907) | 朝鮮・純宗1年(1907)に、郡の庁舎を鳳城から春陽へと移設。 |
1914年 | 郡庁を春陽から奉化邑・乃城里285番地へと移設し、15面を9面へ統廃合。. |
1962年 | 11月:春陽面(チュンヤンミョン)・徳邱里(トックリ)と川坪里(チョンピョンリ)を江原道(カンウォンド)・寧越郡(ヨンウォルグン)へ編入。 |
1963年 | 3月:石浦(ソクポ)出張所を設置し、小川面(ソチョンミョン)・石浦里(ソクポリ)、大峴里(テヒョンリ)、承富里(スンブリ)を管轄させる。 |
1973年 | 7月:法田面(ポプチョンミョン)・小魯里(ソロリ)が春陽面(チュンヤンミョン)へ編入され、祥雲面(サンウンミョン)・斗月里(トゥウォルリ)と内林里(ネリムリ)を栄州郡(ヨンジュグン)・伊山面(イサンミョン)へ編入。 |
1979年 | 5月1日、奉化面を奉化邑へ昇格。 |
1983年 | 2月:明湖面(ミョンホミョン)・新羅里(シルラリ)を祥雲面へ編入し、小川面・石浦出張所を石浦面へ昇格。10月には奉化邑・浦底(ポジョ)2里を浦底2·4里へと分ける。 |
1991年 | 1月:鳳城面(ポンソンミョン)・遠屯里(ウォンドゥンリ)を鳳陽里(ポンヤンリ)へ名を変更。 |
1994年 | 7月:春陽面・牛口崎(ウグチ)1·2里を牛口崎里へ、小川面・古善(コソン)1·2里を古善2里へ、古善3里を古善1里へ、明湖面・北谷(プッコク)1·2里を北谷里へ統合。 |
2000年 | 1月:石浦面・大峴1·2里を大峴1里へ、大峴3里を大峴2里へ、才山面(チェサンミョン)・県洞(ヒョンドン)2·4里を県洞2里へ、南面(ナムミョン)1·2里を南面里へ、葛山(カルサン)1·2里を葛山1里へ、葛山3·4里を葛山2里へ、上里(サンリ)1·2里を上里里へ、祥雲面・文村(ムンチョン)1·2里を文村里へ、新羅1·2里を新羅里へ統合。 |
2002年 | 11月:奉化邑・浦底里を乃城里(ネソンリ)へ変更。 |
2004年 | 1月12日、郡の庁舎を奉化邑乃城里285番地から乃城里 537番地へ新築移転。 |
2015年 | 6月:奉化邑乃城3里区域の一部を乃城5里に分ける。小川面・汾川里(プンチョンリ)の「島湖(トホ)」地域を県洞3里へ編入。 |